【山梨夫婦殺害事件】遠藤裕喜の生い立ちや父母兄弟(家族構成)は?犯行動機は壮絶だった過去が影響?

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まだ記憶に新しい3年前の2021年、甲府市で夫婦が殺害され、住宅に放火するといういたたまれない事件がおきました。

この事件で夫婦を殺害したとして、先日、当時19歳の遠藤裕喜被告の裁判員裁判で死刑が言い渡されました。

「夫婦の長女に交際を断られ現実から逃げたくなった。彼女に拷問をして自分を忘れないようにしようと思った」

この残虐な事件の動機について、このように話していたようです。

交際を断られたことで、何の罪もない家族を殺害するという行為は、全く理解ができませんよね。

遠藤裕喜は、複雑な家庭環境で育ったという噂がありますが、そのせいで精神が不安定だったのでしょうか。

遠藤裕喜被告の生い立ちや家族構成、身勝手としか言えない犯行動機について詳しく調査しました。

目次

遠藤裕喜の生い立ちや父母兄弟(家族構成)は?

この理解しがたい犯行に及んだ、遠藤裕喜の生い立ちや家族構成について調べてみました。

遠藤裕喜が育った複雑な家庭環境や辛い経験をした生い立ちが、歪んんだ考えをおこしてしまい事件の犯行に至ったのでしょうか。

どちらにしても、今回の裁判の中で精神鑑定を行った医師から「精神障害は責任能力に影響はなかった」と証言されていますよね。

では、なぜ犯行に及ぶことになったのか、両親との関係性悪化などが関係あるのかなど、詳しくご紹介します。

遠藤裕喜の家族構成は?

遠藤裕喜被告の複雑な家族構成をご紹介します。

離婚前:父・母・祖母(父方)・遠藤裕喜被告
離婚後:母・養父・異父妹・遠藤裕喜

遠藤裕喜は幼いころは、両親と祖母の4人で山梨県中央市で暮らしていました。

兄弟姉妹はおらず一人っ子のようです。

小学校6年生の時に両親が離婚しましたが、その後甲府に引っ越しすぐに母は再婚しました。

再婚後、異父妹が産まれ4人暮らしになります。

遠藤裕喜の生い立ちは?

続いて、遠藤裕喜の生い立ちについて調査しました。

調べていくと、遠藤裕喜は、心が病んでしまいそうな状況に置かれていたこともわかりました。

だからといって、この残虐な事件を起こした事は決して許される事ではありませんが…。

父の窃盗事件で、両親は離婚

遠藤裕喜は、幼少期は山梨県中央市で育ちました。

父の実家で暮らしていましたが、母は祖母と折り合いが合わず、実家を出て3人で暮らしていたようです。

ところが、2010年に父が家庭用給湯器を2台盗み、窃盗罪で逮捕されてしまいます。

これを機に、遠藤裕喜は、不登校になってしまいました。

また、両親の夫婦関係も逮捕をきっかけに悪化し、離婚することになります。

母の再婚で裕福になったはずが…

離婚してすぐに、母はパート先で知り合った男性と再婚しました。

そして、その養父と母の間に妹が誕生し、4人暮らしになります。

しかし、養父と遠藤裕喜は、上手くいっておらず養父と2人きりになることを避けるようになりました。

そしてまた、中学1年生の頃に、不登校になってしまいます。

そんな中、養父の母への暴力が激しくなってきていたが、そんな矢先、養父は病気でなくなります。

定時制高校に進学

中学3年生の頃から、頑張って別室登校をして、定時制の高校に進学しました。

高校では優等生で無遅刻無欠席で、生徒会長にまで選ばれましたが、その後の就職先は母に勝手に決められ自暴自棄になっていたようです。

ちょうどその頃に、同じ高校に通っていた被害者夫婦の長女にブランド物を送りつけ、その後Lineをブロックされていたようです。

犯行動機は壮絶だった過去が影響?

遠藤裕喜の犯行動機は、この劣悪な家庭環境で育った過去が影響しているのでしょうか。

それでも、このようなことは許されるべきことではありません。

「思い通りにならないので侵入しようとした。見つかったら家族全員を殺すつもりだった」と話しています。

あまりにも理不尽で自分勝手すぎる理由ですよね。

まとめ

【山梨夫婦殺害事件】遠藤裕喜の生い立ちや父母兄弟(家族構成)は?
犯行動機は壮絶だった過去が影響?

こちらをまとめていきました。

あまりにも残酷で許しがたい事件を起こした遠藤裕喜ですが、
たとえ劣悪な家庭環境で育っていたとしても決して許される犯行ではありません。

今後、このようの事件が起きないことを祈るばかりです。
そして、被害にあわれたご家族のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ご覧いただきありがとうございます。

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